平和を発信する、
神と仏のはちまんさん
ワールド。

YAWATA STORY

01

はちまんさん

「神様も仏様も」

2つの信仰が合わさった、
「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」のスタイルが色濃く残る
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)。

あらゆるものを円満に受け入れる寛容さ、豊かさを持ち、
人々を平和と繁栄へ導く神様として信仰されています。

地元では「やわたのはちまんさん」と呼び親しまれる八幡宮、
そこには波瀾の物語がありました。

時は平安時代、859年のこと。
九州の宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)におられた
はちまんさんこと「八幡大神(はちまんおおかみ)」は、

都の近くに移って、
日本の平和を護ります!

と宣言。
奈良大安寺から来ていた
僧・行教(ぎょうきょう)を案内役とし、
宇佐の地を出発しました。

はちまんさんが降り立たれたのは、
京都・平安京の南西にある神聖な山、
男山(おとこやま)。
ここに石清水八幡宮が誕生しました。

京都盆地の川は全てここから下流へ流れ出ます。

はちまんさんは当時、
「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」と呼ばれていました。

神様であって仏様でもある、日本独特の不思議な存在。
これが「神仏習合」です。

僧侶と共に神官や巫女らが仕える石清水八幡宮寺は、
神社でありお寺でもある、
当時の最先端を行く宗教施設でした。

争いごとを治め、平和をもたらすはちまんさんは、
天下人からも篤く信仰されていました。

戦国時代の織田信長や豊臣秀吉、江戸時代の徳川家など、
天下人たちがこぞって守護神とし、たくさんのものを寄贈しました。

私は黄金の
樋(とい)を!

私は一万石も寄進しました!

現在の本殿(ほんでん)、廻廊(かいろう)を建てかえたのは私です。祖父の家康は、やわたのまちの税金を免除し、地元の人々を優遇しました。

ところが江戸時代の終わりに、八幡のまちに激震が走ります。

鳥羽伏見の戦いで幕府の陣屋があった八幡は、
戦争で焼け野原になりました。

さらに、明治の世になると政府により
神仏分離令(しんぶつぶんりれい)が発せられ、
八幡宮内の仏教に関するものは、徹底的に排除されたのです。

こうして、八幡大神様のみをお祀りする
現在の姿となったはちまんさん。

形式は変わりましたが、
千年の時を経てこの地に伝わる
「神様も、仏様も」の考え方は静かに続いています。

その一つを感じられるのが、
生きとし生けるものの平安と幸せを願う祭儀
「石清水放生会(ほうじょうえ)」です。

仏教的な色彩が強いことで、
明治以降は名前が変わりましたが
「石清水祭」として続けられています。

神様と仏様が力を合わせて、
平和で穏やかな世界へ導いてくれる。
はちまんさんのこころは、いつの世も変わらずに
私たちを見守っています。