茶の湯のこころが宿る、
松花堂弁当ができるまで。

YAWATA STORY

04

松花堂弁当

八幡は、松花堂弁当の起源の地。

のびやかで美しい文字が並ぶ書に、
愛嬌たっぷりに動物や植物を描いた絵。

これらは江戸時代初期に活躍した松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の作品です。

昭乗は、石清水八幡宮の瀧本坊にいた僧侶ですが、
書道や絵画など芸術的な才能にめぐまれた文化人として有名でした。

私の趣味、それは茶の湯です。すてきな方たちと交流もできるし、「侘び寂び(わびさび)」という日本独自の美意識が何とも美しい。私が生きた寛永(かんえい)の時代は、そこに華やかさが加わった「綺麗さび」が大流行していました。

茶の湯を愛した昭乗。

茶席で好んで使用していたのが、
箱の内側が十字に仕切られた四つ切り箱です。

農家の種入れ箱をヒントに、この形の器を作りました。漆を塗って絵柄を付ければ、茶席にぴったりでしょう?煙草盆や絵の具箱として使っていました。

そこから数百年のちの明治・大正のころ。

松花堂昭乗が暮らした草庵「松花堂」と泉坊書院を現在の地に移したことを契機に、
風雅の人をしのぶ気運が高まりました。

当時の文化人たちは「松花堂会」をつくり、
昭乗の墓を納める「泰勝寺(たいしょうじ)」を建立します。

八幡のあちこちで往時を懐かしむ茶会が開かれ、
茶席で会席料理の器に用いられたのが、あの四つ切り箱でした。

日本料理「吉兆(きっちょう)」の創業者・湯木貞一(ゆきていいち)も
松花堂の地を訪れた一人です。

昭乗の四つ切り箱を見そめ、会席料理の器へと改良を重ねました。

十字に仕切りがあるから、食材同士の味や香りも移りません。舌で味わっても、目で味わっても美味しい。
機能と美しさを併せ持つ器です。

こうして誕生した弁当は、昭乗に敬意をはらって
「松花堂弁当」と名付けられました。

日本料理を代表する弁当スタイルとして、全国に広まりました。

平成の世になり、松花堂庭園の一画に新しく
松花堂美術館ができることになりました。

松花堂弁当のルーツの地で、本物が食べられたら…。

そこに料理屋さんを募集したところ、なんと、

京都吉兆が来てくれることとなったのです!
みんなの願いが実現し開業したのが「京都吉兆 松花堂店」です。

松花堂昭乗ゆかりの建物、露地庭や
枯山水の趣ある庭園を観賞して味わう松花堂弁当は
格別の味となるはずです。