八角堂

八角堂は、男山丘陵の東裾にある古墳時代前期(4世紀頃)の前方後円墳、西車塚古墳の後円部墳頂に建っていますが、この姿になったのは明治時代のことです。
八角堂の創建は、鎌倉時代にさかのぼり、建保年中(1213~1219)、石清水八幡宮検校(けんぎょう)の善法寺祐清(ぜんぽうじゆうせい)が、阿弥陀如来を本尊として、石清水八幡宮境内の西谷に建立したと伝わります。
慶長12年(1607)、豊臣秀頼が小出吉政を奉行として再建しましたが、その後、建物が大きく傷んだため、元禄11年(1698)、石清水八幡宮別当(べっとう)の善法寺央清(おうせい)が、広く寄付を募り再興しています。
明治時代のはじめ、政府の神仏分離政策によって石清水八幡宮境内から仏堂等が取り除かれることになった際、正法寺の前住職志水円阿(しみずえんあ)が、八角堂を仏像と共に譲り受け、明治3年(1870)、現在地に移築しました。
八角堂は、かつて石清水八幡宮の境内にあった仏教施設のうち、今日まで残った唯一の仏堂です。平成24年(2012)に石清水八幡宮境内が史跡に指定された際、八角堂の移築地も境内の一部として史跡となりました。以降、八幡市では国や府の協力をえて八角堂の保護に取り組み、平成25年(2013)に市有化を行って、平成26年(2014)から平成31年(2019)3月末まで保存修理工事を実施し、明治時代の姿に復原しました。現在、建物の周囲は常時散策ができます。内部については期間を限って公開しています。
なお、八角堂の本尊である阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代の作で、昭和25年(1950)重要文化財に指定されており、現在は正法寺(京都府八幡市八幡清水井73)の法雲殿に安置されています。