兼好さんが案内する、
門前町たから探し
ツアー。

YAWATA STORY

02

門前町

ごきげんよう!
わしの名は吉田兼好
(よしだけんこう)。

エッセイ「徒然草(つれづれぐさ)」、ご存じかね?
仁和寺(にんなじ)のお坊さんが、
石清水八幡宮に参拝した話があるんじゃ。

男山ふもとの寺社や門前町があまりにも賑やかだったため、
肝心の八幡宮参りを逃してしまう、という笑い話じゃよ。

八幡のまちは、
神と仏をともにまつった石清水八幡宮の門前町。

神棚と仏壇の両方が家にある、
日本人の心のルーツともいえる町なのです。

わしの生きた時代から700年、町の姿はすっかり変わってしまった。神と仏は切り離され、多くの建物が壊され焼かれた時代があったのじゃ。しかし今でも、日本の心のルーツを示す貴重なたからは、門前町のそこここにちらばって存在しておる。

そうそう、徒然草の話のオチは、「何事にも案内人(ガイド)が必要」ということじゃったな。今日はわしがガイドとなり、門前町のたから探しへ参ろう。

今から150年前、幕府との戦争で門前町は火の海に—。
今の八幡市駅前にあった大寺院から仏像や仏具が避難のため場所を移されました。

その直後、明治政府がだした神仏分離令(しんぶつぶんりれい)。
たった数年の間で、男山山上や山麓に
あれほど数多くあった仏塔、仏堂、仏像がなくなったのです。

そのなかで、当時の町の人々によって守られたものがある。だから場所を移され山のふもとの門前町に点在しておるのじゃ。

善法律寺(ぜんぽうりつじ)の八幡大菩薩像は、
もとは石清水八幡宮の境内で祀られていた仏像で、本尊とも伝わります。

お地蔵様のような姿ですが、神様です。
善法律寺本堂は八幡宮の社殿の部材を使って建てられたと伝わっています。

通称は紅葉寺という。美しい庭もここの見所じゃぞ。

八幡宮から移されたと言えば、 駅前の神應寺(じんのうじ)の行教像も有名じゃ。

高さ約5m、巨大な阿弥陀如来坐像があるのは正法寺(しょうぼうじ)。
もとは石清水八幡宮本社のすぐ横にあった
「八角堂」に安置されていたものです。

この像と八角堂の建物は明治の初めに
西車塚(にしくるまづか)古墳のうえに移されたそう。

古墳の上とは!
当時の人々が懸命に守ろうとしたことが伝わるのう。

正法寺には面白い話もあります。
江戸のころ正法寺に「お亀」という若い女性がおりました。

通りかかった大名行列にあわてて、
行水する子どもをたらいごと持ち上げた腕っぷしを見初め、
プロポーズしたのは、なんと時の将軍、徳川家康!

お亀さんの産んだ子は、徳川御三家のひとつ、尾張徳川家の祖となり、あのシャチホコで有名な名古屋城の藩主となったのじゃ。お亀さんによって建てられた正法寺のいまの本堂は、彼女の生きた当時の色が、そのままきれいに残っているのじゃよ。

八幡宮の山には、
「男山四十八坊(おとこやましじゅうはちぼう)」とよばれた
多くの寺院が立ち並んでいました。

たくさんあった坊のなかで、
泉坊にあった松花堂と書院だけが八幡市内に現存しています。

優美な佇まいはまさに八幡宮の「たから」。
松花堂庭園に移築されているので、ぜひ実物を見に行ってほしいのう。

たからと言えば、もうひとつ。それは、八幡の竹じゃ。

世界の発明王・トーマスエジソン。白熱電球の実用化に向けて世界中の竹を集めて実験したところ、八幡産の竹が最も長い時間灯り続けたそう。

これも、はちまんさんのお力かもしれんのう…。男山山上にはエジソン記念碑もあり、毎年、生誕祭などを行っておる。
エジソン通りもあり、八幡宮の門前町は世界と友好を結ぶまちでもあるのじゃ。