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徒然草エッセイ大賞の創設を記念し、山折哲雄氏の講演会を開催しました。

[2018年3月20日]

本年、市制施行40周年を迎えるにあたり、本市の魅力を全国へと発信するため、「徒然草エッセイ大賞」を創設いたしましたことを記念し、講演会を開催いたしました。

山折哲雄氏


日時:平成29年10月13日金曜日、午後6時30分から
場所:八幡市文化センター4階 小ホール
講師:国際日本文化研究センター名誉教授
    第一回徒然草エッセイ大賞選考委員長
     山折 哲雄さん
講演内容:「これからの徒然草」

講演内容の要約

「徒然草」が選ばれ、エッセイ大賞が創設されたことは、大変うれしく思う。

私は、エッセイ・随筆が日本文学の王道・主流であったと思う。

さらに、日記がその主流であったと私は考えている。

日記文学という性格を除いて、日本文学の本質はとらえることができない。

この日記を中心として、文学的なジャンル、発想が展開していく点で、日本の伝統は、世界に冠たるものがあると思う。

八幡市が「徒然草」に新しい光を与えようとした試みは、世界文学史の上でも非常に重要な意味をもつ。

今後、大きく発展していくテーマ性をもっている。


我が国の中世において、徒然草と同時代前後に書かれた名作と比べながら、徒然草の作品としての、文学としての特色は

何かということを考えるとどういう問題が出てくるか、ここが大事。

一般に言われることは、「徒然草」「方丈記」「平家物語」に共通に流れている考え方として、「無常観」とよく言われる。

そして、徒然草で表現されている「無常」という考え方にどういう性格があるのかというと、

日常の暮らしの中の無常観であると思う。

その問題について、八幡市がエッセイを全国に募り、これからありうべき文学のジャンルを検証していこうということに、

大きく期待している。

日記文学が無常観を軸にしてどのように展開していくか、これからが問題である。


徒然草で論じられている、日暮らしの中の無常観、暮らしの中の無常観とはいったい何か?

52段に描かれる、はるばる京都から先達抜きでやってきて、高良神社で拝んで帰った。本殿は山の上だと後から知った。

お参りしたい気持ちは本当だっただろうが、それでもどこか足りないところがあった。

人間の行動を表からだけでなく、同時に裏からもみる。この余裕、客観冷静な視線。

それは、単に感情に流される「無常観」とは違うところ。

平家物語、方丈記の作者とは違う近代的な目線とも、複眼と言ってもよいかと思う。

52段を読むたびに思い出すのは、良寛が詠ったと伝えられている、「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

もみじが散ることは、まさに無常という現象を象徴している。

一気に散るのではなく、表を見せ裏を見せてゆっくり静かに散っていく。表だけ見ても、裏だけ見ても駄目だと言っているよう。

悲しい思いをちらっと見せ、別のあの世にいくんだという面もちらっと見せながら、迷いながらひらひら落ちていく。

こういう感覚。

味わいがしっとりとして、落ち着いて納得させる。そういう力がある。52段はこれとよく似ていると思う。


吉田兼好は、神官の出であり神道家で、和歌も詠んだ。

日記文学としての作品にはもう一つ、和歌が欠かせないものだった。


さらに兼好は、色好みということも重視している。

色好みを大事にする文学という点で、源氏物語と同じ。「もののあはれ」の感覚。それを兼好は、正統に受け継いでいる。

色好み、もののあはれに対する考え方。ものに触れて美しさを感じる。

その繊細な感覚を大事にした点で、紫式部と吉田兼好の間に差はない。

そういう見方を徒然草にはなされてこなかったように思う。


また、兼好は徒然草の中で、月の美しさというのは、満月のときだけではない、

欠けているとき、雲に覆われているときにこそ無類の魅力があるといった。

欠けたるものの中にこそ、真の美しさがある。これも複眼的思考。

自分の見ているものから一種の距離をとる。心の余裕を担保する。その時、対象を深く鋭く見ることができる。


ものを書く人間の主体はどこにあるか。これは近代的発想ですが。

英語で「私」は「I」しかない。一人称単数。フランス語、ドイツ語もそう。

西洋はほとんど一人称単数はひとつ。

日本語は無数にある。「私、僕、俺、おのれ、わし、わて・・・」正岡子規は120程あるといった。

こんなに一人称単数を持っているのは、日本ぐらい。

対象を考えたり、歌ったり、感じたり、聞いたりする、そのわたくしなるものの実態は流動している。

このわたくしなるもののあり方の違いが、日本の随筆文学、日記文学に如実に表れている。

一番ストレートに表れるのは、日記。簡単に虫になる。鳥にもなる。

対象にすーっとスムーズに溶け込んでいる。自然との一体感と言うこともできる。

一人称単数をどう考えるかというのは、書くときにいちいち理屈っぽく考える必要はないが、そういう感覚が自然に働く。

これが日本人の日記、随筆、エッセイの特色として表れている。

これは世界にはなかなかわかりづらいことだが、だからこそ日本の文学の歴史の中で、傑作、名作と言われているものは、

だいたい短いエッセイ風のものが多い。源氏物語的な大文学はむしろ例外。

これからノーベル文学賞をもらうとすれば、西洋と闘いながら大文学でいくか、

日本固有の日本人の文化を際立たせる随筆の世界から出てくるか、これからがおもしろい。

そういう点でも徒然草が持っている可能性は非常に大きいと思う。


「第一回徒然草エッセイ大賞」受賞作品

受賞作品は下記の徒然草エッセイ大賞専用ホームページにてご覧ください。

徒然草エッセイ大賞専用ホームページ:http://www.tsurezure-essay.jp

また、準備が整い次第、市内図書館に受賞作品を掲載した入選作品集を設置いたしますので、是非ご利用ください。

※リンク先で入選作品が閲覧できない場合は、専用ホームページ内の更新ボタンをクリックしてください。

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