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あしあと

    八幡市の歴史資料のご紹介(令和7年3月)

    • [公開日:]
    • ID:10220

    河原崎家歴史資料のご紹介6

    宝暦9年の2冊の日記

    河原崎主水『日記』

    前回に続き、河原崎家に伝来した江戸時代の日記を紹介します。

    前回の紹介ページもぜひ下記よりご参照ください。
    八幡市の歴史資料(令和6年12月)へのリンク

    資料紹介写真

    宝暦9年 河原崎主水『日記』 表紙

    • 資料群名:河原崎家歴史資料
    • 作成者:河原崎主水(安常)
    • 年代:宝暦9年(1759) 
    • 員数:1冊
    • 所蔵者:八幡市教育委員会

    今回紹介する宝暦9年(1759)の『日記』は、河原崎家の7代目・河原崎主水(かわらざきもんど、安常)が石清水八幡宮の他姓座神人としての職務を記録したものです。前回紹介した神人の業務日誌『他姓座日記』と同じ宝暦9年に作成された日記です。つまり、河原崎家には他姓座に関する同じ年紀を持った2種類の日記が存在しているということになります。

    何故、1つの家に同じ年の日記が2冊も存在しているのでしょうか。また、内容には違いがあるのでしょうか?

    『他姓座日記』と河原崎主水『日記』の比較

    前回の『他姓座日記』では、宝暦9年2月9日に発生した橘本坊など7坊の火災に関する記録を例として、日記の特色を紹介しました。この日の火災については、今回紹介する河原崎主水の『日記』にも記録されています。しかし、同じ家に伝わる同じ日の記録であるにも関わらず、そこから読み取れる情報には少々違いがあります。記載されている内容を比較してみましょう。

    (翻刻文がダウンロードできます。また、以下の文中では便宜上『他姓座日記』=『他』、河原崎主水『日記』=『日』と表記しています。)

    資料紹介写真

    宝暦9年 河原崎主水『日記』2月9日条

    添付ファイル

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    比較1 火災当日の天気

    • 『他』:「9日、曇り。」
    • 『日』:「9日、午後2時過ぎから4時過ぎにかけ雨、西風、後に西南の風となる。」

     『他』には、当日の天気が「曇り」であったと記録されています。一方で『日』には、ちょうど火災の時間帯に雨が降っていたこと、風向きが西から西南に変化したことまで記録されています。

    当日の天気を復元することは困難ですが、2つの日記の情報を組み合わせると、おおよそ一日を通して曇っていたものの、火災の時間帯は一時的に小雨が降ったと推測できます。

    比較2 火災対応時の他姓座神人の服装

    • 『他』:記録なし
    • 『日』:「さしこにこぶくめん(を羽織り)、ちいさ刀を差し(山上に)登った。」

     『他』には、神人が火災に対応した際の服装や装備に関する情報は記録されていませんでした。一方で、『日』からは、書き手である河原崎主水が火災発生の報をうけ、「さしこ」(差袴)、「こぶくめん」(小服綿)、「ちいさ刀」(小刀)という装いで山上に出向いたことが分かります。

    比較3 石清水社御神体の避難

    • 『他』:「火の勢いが激しいため、東竹殿が石清水社の御神体をお持ちになり、護国寺のあたりまで持ち出した。(略)御神体は若宮に奉戴した。避難の道中、他姓座の(神原)庸助が前払役を務め、同じく(河原崎)中書は畳を持ち東竹殿を守護した。」
    • 『日』:「緊急事態のため、他姓座の(河原崎)中書が石清水社の戸錠を切り、東竹殿は中書と六位座の(森元)内匠の浄衣に御神体を包み(略)若宮に遷った。中書が畳を設置し、河原崎主水・小祢宜座の力弥の2人が玉垣の戸を開けた。浄衣に包んだまま御神体を置いた。」

     『他』の記述の中でも、神人の行動が比較的詳細に記録されていた石清水社御神体の遷座(避難)に関する箇所についてはどうでしょうか。

    『日』によれば、河原崎中書が石清水社の戸錠を切り、東竹殿が御神体を持ち出し、中書と森元内匠の浄衣に包んだうえで遷座させています。若宮に到着した際には、中書が畳を設置し、河原崎主水と小祢宜の力弥が玉垣の戸を開けたとあります。

    火元である橘本坊に近い石清水社の御神体救出の場面では、「戸錠を切る」・「戸を開く」・「玉垣を開く」・「浄衣で包む」など、神人たちの個別具体的な行為まで記録されていました。これらの行為は『他』には記録されていない情報でした。

    また、御神体を浄衣に包んで持ち出している様子からは、緊急時にあっても可能な限り御神体を清浄・丁重に扱おうとしている意識が見て取れ、興味深いです。

    比較4 消火活動

    • 『他』:記録なし
    • 『日』:「淀から火消が来た。豊蔵坊を塞いだ。」

     『他』の記録中には見られなかった消火活動についても、『日』を見ると淀の火消が男山山上の火災現場に出動し、消火活動にあたっていたことが分かりました。

    『他』では、他姓座神人の職務範囲外であったため、火消については記録されていませんでしたが、河原崎主水は火消についての情報を個人の日記に記録していたのです。

    また、詳しくは不明ですが、豊蔵坊周辺では恐らく延焼を防ぐために何らかの対応がとられていたことも分かりました。

    比較5 鎮火後の夜間警備体制

    • 『他』:「警備が命じられた。」
    • 『日』:「四座中・諸神人らは当職の命令として、1座から2名ずつ交代で番を行った。仲間1、2名ずつ(出勤し)、残りは休息した。(略)志水町・神原町から、京都に火災発生の由を報告した。」「10日、(略)今夜から町々の社士らも夜廻りにあたった。」「12日、(略)橋本を巡回した。夜の勤番も橋本から廻った。神人と社士が同時に巡回した。」

     『他』では鎮火後、神人たちが夜間の警備を命じられていることのみ記録されています。『日』では、夜間の警備体制や人数構成、休息に関する情報まで記録されていました。また、神原町と志水町の2町が京都へ出火を報告していることも明らかとなりました。

    翌日10日以降の記録からは、夜間警備に関する達し書の写しや、町内の警固社士らも夜回りにあたっている様子、神人と社士が共同で橋本から廻って警備にあたっていることも分かりました。

    河原崎家の邸宅は志水町にあり、また同家は他姓神職と警固社士とを兼帯していたため、主水によって必要な情報として記録されたのかもしれません。

    資料紹介写真

    『他姓座日記』(左)と河原崎主水『日記』(右)

    2冊の日記の比較からわかること

    このように、河原崎家に伝わった同じ年・同じ日の2種類の日記の間には、記録されている内容や情報の具体性に違いがあることが分かりました。

     これら2種類の日記は、同じ他姓座神人の職務に関する記録ではありますが、『他姓座日記』は他姓座という神人組織の業務日誌であり、河原崎主水の『日記』は主水個人の(或いは将来神人を相続する河原崎家の子孫を想定して記録された)日記、という性格の違いがあります。つまり、両者は書き手と記録目的が異なっており、日記に記録される情報の違いは、書き手の個性や興味関心、必要とする情報の違いや記録目的の違いによって生じたということができます。

    『他姓座日記』と河原崎主水『日記』の違いは、同じ日の同じ出来事に関する記録であっても、書き手や記録目的の違いによって記録される情報が変わってくるということをよく物語っていると言えます。

    一つの出来事を複数の視点から多角的にみていくことは、過去の歴史を考える上で非常に重要なことです。『他姓座日記』と河原崎主水『日記』の情報の違いは、一見すると些細なものですが、もし、『他姓座日記』しか残っていなければ、当日の天気の変化や淀の火消の出動、神人一人一人の行為や鎮火後の警備体制などについて、現在に生きる私たちが知り得ることはありませんでした。八幡に伝わる同時期の複数の史料を読み解き、比較検討し、組み合わせることは、個々の史料単体からは見えてこなかった、地域の新たな歴史を発見することにも繋がるのです。(文化財課:金子秋斗)

    用語集

    ・差袴(さしこ)

    括りのない短い袴(はかま)。

    ・小服綿(こぶくめん)

    僧尼の平服に用いた十徳(じっとく)に似た木綿の綿入れ。または綿入れの着物。

    ・浄衣(じょうえ)

    清浄な衣服。神事の際に着用する衣服。

    ・火消(ひけし)

    江戸時代の消防組織、また、その組織に属する人。当時は水による消火ではなく、周囲の建物を破壊することで延焼を防ぐ破壊消火という手法がとられた。この日八幡に出動したのは淀藩の大名火消をさすか。淀の大名火消の八幡への出動については、大規模火災時か石清水八幡宮に被害が及ぶ山上での火災、あるいは八幡領内のうち淀藩領と隣接する地域での火災時に限られていた。

    参考文献

    • 藤本仁文「淀藩出動と石清水八幡宮の領主権―火災時における対応―」(東昇・竹中友里代編『八幡地域の古文書・石造物・景観―地域文化遺産の情報化―』京都府立大学文化遺産叢書第4集、2011年)。

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    八幡市役所こども未来部文化財課

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