写真で見る昭和の八幡
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令和8年(2026年)は昭和元年(1926)から数えて満100年を迎えます。文化財課では昭和を振り返る企画として、教育委員会所蔵の古写真などを紹介していきます(不定期更新)。
昭和、特に戦後は、目覚ましい経済成長を遂げ、科学技術の進展などにより、人々の生活様式が大きく変化した時期でもありました。このような時代の流れの中で、さまざまな道具が開発され、普及していきました。その中には、急速な技術発展と変化の中で、今ではすっかり見られなくなってしまったものや、大きく形を変えたものも存在します。
今回は、昭和の八幡における通信技術の発展に関わる写真をご紹介いたします。

美濃山の農村公衆電話(昭和34年(1959)12月)
この写真は、昭和34年(1959)12月、美濃山に公衆電話が開通したことを伝える、『八幡町政だより』第18号(1960年1月)に掲載された写真です。これ以前の『町政だより』の記事によれば、同年2月から旧八幡町が電信電話公社と交渉を重ね、11月に工事が始まり開通となったそうです(『八幡町政だより』第17号、1959年9月)。
さて、この写真に写っている電話機ですが、女性が何やらハンドルのようなものを回しながら電話をしている様子が確認できます。さらに、現代の電話機のように電話番号を入力する仕組みがありません。これは磁石式電話機と呼ばれる電話機で、側面についたハンドルを回すことで発電し、電話をかけることができました。また、当時は直接番号を入力して電話をかけるのではなく、まず電話局の交換手を呼び出し、交換手から通信相手に電話をつないでもらいました。そのため、番号を入力する必要がなく、現代の電話と姿が異なっています。
次にご紹介する写真は、約15年後の『広報やわた』第120号(1974年7月)に掲載された写真です。

1万台架設記念通話(昭和49年(1974)7月)
こちらの写真は、昭和49年(1974)に電話加入が1万台を突破したことを伝える記事に掲載されたものです。使用されている電話機は、押し込みボタンにより番号を入力するプッシュフォンと呼ばれるものになっています。先ほどの写真が撮影された昭和34年から、たった15年ほどで電話機の形や、通信のあり方は大きく姿を変えています。
特に旧八幡町において大きな出来事だったのが、昭和43年(1968)の新電話局開局と、それによるダイヤル式電話の開通です。新たに開局した電話局では、自動交換機(C400型クロスバー交換機)が導入されたことで、交換手を介すことなく、番号を入力し、直接相手を呼び出すことができるようになりました(『八幡町政だより』第62号、1968年3月)。これにより電話機も、ダイヤルを回して番号を入力する黒電話(ダイヤル式電話機)や、プッシュフォンが普及していきます。
ふるさと学習館に展示されている電話機(八幡市教育委員会所蔵)
このような、新局設立やダイヤル式電話の開通は、回線数を増やし、増大する電話需要に応えることにもつながりました。昭和43年当時、旧八幡町において電話加入は1200台余りでした。しかし、写真が撮影された6年後の昭和49年(1974)には、人口が急増し、加入1万台を突破しました。
はじめの写真が撮影された昭和34年から数えれば、たった15年ほどの間に電話は急速に普及し、通信技術の発展と共にその姿も大きく変えていきました。今回ご紹介した写真は、昭和期の八幡における通信技術の発展をよく伝えてくれます。
また、その進化は止むことなく、さらに年月が経つと携帯電話が普及し、現在では個人でスマートフォンを持つ時代になりました。昭和から100年を迎えた現在、そしてこれから、どのような新しい通信技術が生まれてくるのでしょうか。
参考文献
- 「美濃山に電話」(『八幡町政だより』第17号、1959年9月)
- 「四十番、誕生!」(『八幡町政だより』第18号、1960年1月)
- 「待望のダイヤル電話が開通」(『八幡町政だより』第62号、1968年3月)
- 「町の電話1万台に」(『広報やわた』第120号、1974年7月)
いずれも『広報やわた縮刷版 第1巻』(八幡市役所総務部秘書広報課、1986年)にて閲覧
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八幡市役所こども未来部文化財課
電話: 075-972-2580 ファックス: 075-972-2588
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