ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

検索

閉じる

あしあと

    八幡市の歴史資料のご紹介(令和8年7月)

    • [公開日:]
    • ID:11125

    内里長村家資料のご紹介2

    江戸時代において長村(おさむら)家は、内里地域が京の公家・壬生(みぶ)家の所領となったことから、代々壬生家の家来を勤めた家です。幕末から明治期の人物である長村保固(おさむら・やすかた)は、尊王攘夷派の公家である壬生基修(みぶ・もとおさ)の近習職として七卿落ちにも付き従い(明治元年には執事職)、その後、明治12年(1879)には初代宇治・久世郡長を務めるなど、南山城地域の近代化に貢献した人物でもありました。

    今回は、内里の長村家に伝わった史料のうち、壬生家の家来としての長村保固の功績を物語る文書をご紹介します。

    「行政官御沙汰書」

    資料写真1

    「行政官御沙汰書」前半部

    資料写真2

    「行政官御沙汰書」後半部

    行政官から「壬生左衛門権佐家来」(壬生基修家来)に宛てられた文書で、東北・北越戦争における軍労を賞したものです。

    慶応4年(1868)正月、鳥羽・伏見の戦いに勝利した新政府軍は同年4月に江戸城を開城させますが、会津藩を中心とする旧幕府勢力は未だ抵抗の姿勢を示していました。新政府は会津藩を中心とする東北諸藩(奥羽越列藩同盟)を討つために東北・北越方面に軍を進めます。

    この時、長村保固が仕えた壬生基修は越後口総督・仁和寺宮嘉彰(よしあき)親王の参謀として越後に従軍しており、保固もこの軍に加わっていました。北越戦争に関する当時の日記には「壬生殿家来長村縫殿」(『慶応戊辰北越従軍日記』)・「壬生殿附家司長村忠彦」(『越佐叢書』所収「鞅掌日記」)などとして保固の名が記録されています。

    東北を平定した嘉彰親王らは11月4日、東京に凱旋します。親王や基修へは明治天皇が直々に(みことのり)し、金品などが下賜されました。基修に臣従していた家来たちに対しては、東京から京に帰還した後の12月、軍労を賞し行政官から本文書と酒肴が贈られたようです。家来宛となっている本文書が長村家に伝来しているということは、保固が基修の家来を代表する存在であったことをうかがわせます。この時、東北・北越に従軍した諸藩の兵にも同様の達書が出されていたことが分かっています。

    「壬生基修褒状」

    資料写真3

    「壬生基修褒状」

    明治3年(1870)5月、「藤原基修」(壬生基修)から「長村忠彦藤原保固」(長村保固)に宛てられた褒状で、「去亥年長州江下向」以来の保固の「勉励勤務」・「東西奔走」・「彼是尽力」を賞し、終身15石の禄を与えるという内容です。

    「去亥年長州江下向」とは、文久3年(1863)、攘夷のあり方をめぐる朝廷内の対立から発生した8月18日の政変に敗れ失脚した三条実美(さんじょう・さねとみ)・三条西季知(さんじょうにし・すえとも)・四条隆謌(しじょう・たかうた)・東久世通禧(ひがしくぜ・みちとみ)・壬生基修・錦小路頼徳(にしきこうじ・よりのり)・沢宣嘉(さわ・のぶよし)ら7人の急進派公家が、京から長州(現在の山口県)、後に太宰府に亡命した「七卿落ち」のことです。保固は基修の家来としてこれにも随従していました。

    「一昨辰年北越出軍」は、前の文書で述べた北越戦争をさします。東北平定後の明治2年(1869)2月、基修は越後府(後に水原県)知事となりますが、この時保固は越後府の庶務方として勤務しています。しかし、明治政府による中央集権的な近代国家を目指す改革(版籍奉還・廃藩置県など)のなかで、文久元年(1861)から続いた基修と保固との主従関係も本質的に解消されることとなります。

    基修は同年10月には東京府知事に赴任、保固は明治3年(1870)9月に神祇官(後に神祇省・教部省)への出仕を申し付けられています。この褒状は主従関係が解消された後、基修が家来としての保固のはたらきを個人的に労ったものと考えられます。

    壬生基修家来としての長村保固

    資料写真4

    長村保固写真

    これらの文書は、壬生基修の家来(近習職・執事職)として働いた長村保固の活躍をよく示すものです。実際に、保固の名は七卿落ちや北越戦争に関するさまざまな史料にも登場しており、壬生基修の家来として広く知られた存在でした。

    幕末維新期という激動の時代に八幡の地を離れ、要人の家来として東奔西走し、歴史に名を残した人物がいたことはたいへん興味深い事実です。(文化財課:金子秋斗)

    用語集

    • 行政官(ぎょうせいかん)

    明治元年(1868)年に設けられた行政をつかさどる機関。同二年太政官と改称。

    •  詔(みことのり)

    天皇が仰せになること。

    •  攘夷(じょうい)

    幕末期に流行した、外国との通商に反対し打ち払うことを主張した思想。

    参考文献

    • 『山城綴喜郡誌』(1908年)。
    •  香山経徳『慶応戊辰北越従軍日記』(香山益彦、1928年)。国立国会図書館デジタルコレクション参照。
    •  太政官編『復古記』第14冊(内外書籍、1930年)。国立国会図書館デジタルコレクション参照。
    •  今泉鐸次郎・今泉省三・真水淳編『越佐叢書』第10巻(野島出版、1976年)。国立国会図書館デジタルコレクション参照。
    •  青山忠正『明治維新という建国神話 「版籍奉還」とは何だったのか』歴史文化ライブラリー628(吉川弘文館、2026年)。

    お問い合わせ

    八幡市役所こども未来部文化財課

    電話: 075-972-2580 ファックス: 075-972-2588

    電話番号のかけ間違いにご注意ください!

    お問い合わせフォーム


    ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます